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法教育研究の端緒

私が、まだ20 代の頃、法を強く意識した出来事が2つある。1つは、群馬県で教員になったばかりの頃、警察署で供述書を取られたこと、そしてもう一つは、実家の土地問題でブローカー側の弁護士と闘ったことである。いずれも80 年代中頃のことだ。

この2つの経験で私は刑事と民事とを少し囓ったことになる。では、2つの話をするが、あくまでも記憶を辿って、私の視点から書いていることをお断りしておく*2
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少々、長くなるがお付き合いいただきたい。

1.私と刑事事件
まず、前者の例。私の同僚Oさんに子息が誕生し、もう一人の友人とその祝宴を挙げた時のことだった。一次会が終わり、程よく酔ったところで、行き付けのカラオケバーに立ち寄った。いつものように歌い、他の客にも手拍子や声援を送って楽しんでいた。 ところが、余り見かけたことのない三人組の歌にも同じようにしていたところ、その中の年少らしき男がやって来て「煩せぇんだよォ」「年長者は誰だ」などと言って、我々にとっては主賓のOさんに絡んできた。これを見た私は「お祝いの席なので言いがかりを付けるのは止めろ」と言った。 すると、突然、その男は私の髪を鷲掴みにしてグイグイ引っ張ったので、私は咄嗟に相手の頭部にパンチした。その男は怒って「表に出ろっ!!」と叫ぶので、私は直ぐに表の駐車場に出て「これは闘うしかない」と覚悟を決めて待っていた。

しかしその男はなかなか出てこない。しばらくすると、仲間の年長と見られる男が出て来て、「話を付けよう」と仲介役を買って出た。私が、その仲介役と話をしていると、私の左側から急にあの若造が駆け寄ってきて大声を張り上げながら、私の左顔面を殴り、そのまま逃げ去った。 不覚にも私はまともにパンチを食らってしまった。弛まず、出てくる鼻血を手で拭い、手の平の血を見せながら「卑怯でしょう。これは暴力以外の何ものでもない!すぐそこが警察署だから行きましょう」と、仲介役に言った。その店は交差点を挟んで警察の斜向かいにあったのだ。 仲介役も色々言い訳していたが、謝罪を強く要求する私に対して、最後には根負けして仲介役として謝った。その場はそれで終わった。その後、我々三人で少し話し合ったところ、あの若造は、怖じ気づいて表に出ずに、私の仲間に向かって「オメェら、奴を何とかしろ」と言っていたとのことだった。

その日は、それで散会となったが、翌日、起きてみたら左顔面は目を中心に腫れ上がり酷いことになっていた。これでは納得できないと思い、校長に電話を入れ、警察署に立ち寄ってから、出勤すると連絡した。署では刑事一人が対応し、私の話を書き留めていた。 話の途中で「ところで先生、先生は殴ってませんよね」と聞かれた。昨夜のことを回想すると、一発パンチしていたことを思い出した。そこでそのことを正直に伝えると、刑事は「先生、そりゃあ不味い。供述書に切り替えなきゃ」と言って、私は供述書を取られる羽目になった。 オマケにまだ痛みの残る酷い顔をポラロイドカメラで撮られ、見せられた。相手を捜すと言ってくれたが、その後、何も連絡はなかった。

後日談だが、イチャモンを付けた三人組はたまにその店を利用していたようで、客に絡むことがあったと店主は語っていた。農機具店の社員と聞き、その店も突き止めたが、そのまま遠い過去となっている。そう言えば、警察に行ったその日、生憎にも保護者面談があった。 保護者のYさんが大きな眼帯をしている私に「先生どうしましたか」と尋ねてきた。私は「いやぁ。物貰いでぇ」と嘘を付いてしまった。まだ、新任の仮採用中のことだったように思う。いずれにしても、若気の至り、いや馬鹿気の至りというところだろうか。クビになる要素は充分だった。

2.私と民事事件
そして二つ目。80年代と言えば、バブル期である。私の郷里(現沼田市)の近く、三国山脈の向こう新潟県の湯沢町は、「東京都湯沢町」と言われるほどに、東京の資本が入り、リゾート開発の真っ直中だったが、同時期、群馬の山奥でもバブルの影響が及んでいた。 私の実家が所有する県道沿いのたった800m2程度の土地を購入したいという話が、地元では悪名高い土地ブローカーのXから持ちかけられた。近くにある栗園に観光客を運ぶバスの待機所にしたいという話だった。我が家ではこの土地で梅木を栽培しており、季節には家族で食べるくらいの実がなり、それなりに重宝していた。 実家では売る気もなく、Xは何度か足を運んだが、むしろ、相手が相手だけに警戒して、名義人の父もきっぱり断るというよりは、考えておくと言った程度の体のいい断り方をしていた。

ところが、ある時、私が勤務からの帰宅途中にこの土地を通りかかったところ、重機が入って、梅木は根刮ぎ倒され、地均しが始まっていた。私は車を止めて、重機に記された会社名、土地の状態、日時などを手帳に記して、帰宅した。すぐに、確認してみると、土地を売るとも言っておらず、契約書も交わしていないということが分かった。 急遽、重機の会社に連絡をすると、Xから依頼されたと言う。

このことについて、Xに抗議すると、彼は謝ったものの、この後、あの手この手で懐柔策に出た。ある時、私が家にいると、祖母の再従兄弟のTがやって来て、あの土地のことでXに頼まれて話に来たと言い、世間話などを織り交ぜながら、他の土地は買収しているので何とか売ってくれないかと説得してきた。 私が承諾も契約もしていない状況で、土地を荒らされたことを批判すると、仕舞いには、「このくらい出せるんだがなぁ」と札束を片手でばたつかせた。これには私も驚いた。ちょっと手にしたことのない厚みで、思うに数百万円はあったようだ。それでも断ると、にやにやしながら帰って行った。 正直、少し心が揺らいだ。

土地は早い段階で「無断立ち入り禁止、地権者」と札を立てて、縄も張ったので、荒らされたそのままの状態が続いていたが、ある時、差出人が弁護士Hという封書が届いた。手紙には、HはXの代理人の弁護士であること、今回の件についてはXが多大な損害を受けたので、場合によっては2千万円の損害賠償の裁判を起こすという、こちらからすれば脅迫状ともとれる内容だった。 私は怒りがこみ上げてきた。しかし、相手が弁護士なので、それ相応の対抗措置をとらなければならないと考え、直ちに、大学時代に積ん読してあった民法の本や六法全書などをいくつも読んで、「契約」「不動産」「不法侵入」「器物損壊」「仮処分申請」など調べ、我々の正当性と相手の不法行為について論証する文章を仕上げた。その上で、近隣の組合立病院主催の無料弁護士相談に行って、担当弁護士に文章を読んでもらい、相談に乗ってもらった。 その弁護士が「これは誰が書いたのですか」と尋ねたので、私が書いたことを伝えると、感心してくれた。私は嬉しい気持ちになった。昔取ってもいない杵柄だが、結構やれるものだと思った。その弁護士は、我々の正当性を認め、素人が弁護士と争うのは大変だとして、別な弁護士を紹介してくれた。

さて、この後、私は、弁護士のコメントを受けて文章を修正し、相手の弁護士H(Xも含めて)に対して内容証明を送り、同時に、県都に事務所を構えるS弁護士に父と二人で相談に出かけた。相談料の相場は30分で1万円程度と聞いていたが、事情を説明して30分ほどで終わると、S 弁護士からは手付け金として10万円を求められたので、私達はその金額を渡した。

ところが、その後、S弁護士は時折電話はくれるが、これといった動きをしているようにも見えない。少し心配になった我々は、近所の事情通のW 氏に相談すると、しばらくしてから、こんな話をしてくれた。「どうも弁護士のH とS は顔見知りのようだで。大学の先輩と後輩だったっけかな。弁護士会は顔見知り同士なんで、なあなあでやってるんじゃねぇえかなぁ」と。 確かにその可能性も考えられ、弁護活動がほとんど見られないのはそのせいかもしれないと不信感が募った。そこで、S弁護士に電話をかけ率直に言うと、こちらも不満が募っての電話だったので、きつい言い方だったのか、相手もキレて、最後は喧嘩別れのように電話を切った。弁護士との縁が切れた瞬間だった。

その後、この土地問題はどうなったと思われるだろうか。実は、実家は300 万程度で土地を売ったようだ。というのも、ブローカーの背後には、S不動産がいた。その不動産会社の社員で群馬の担当者が、なんと母方の親戚端だったのだ。結局は、これまでの事情を知ったその社員が、直接交渉に来たため、荒らされたままの土地では仕方ないので売ることにしたのである。 一件落着。民事訴訟までは至らずに、土着の繋がりが問題解決の鍵となった。

3.法的実践力の必要性
以上、2つの話題を提供したが、私は、実生活における刑事や民事は、誰にでもちょっとしたきっかけで起こりうるものと考えている。前者の事例は、刑事事件だが、担当した刑事は捜査をするとは言ったものの大した事件とは判断されず、そのまま立ち消えになった。 教訓を得るとすれば、仲間を守るために熱くなるのはよいが、私のような対応では大事件に発展する可能性もある。冷静に、事が大きくならないよう、被害は最小限に留めるようにして、刑事事件に発展させないことが、問題解決の第一歩だと考える。確か、この件で、私は裁判所にも行ったように思う。 余分な労力を使ったものである。

次に、後者の事例は、民事的な問題に出くわした時に、大学で少し囓った程度の学びでも、そのことをきっかけに、問題解決行動がとれると言うことである。法律の本を取り出して必要な知識を獲得する。その上で、分からないことは専門家の弁護士に相談するといった活動を通して、法的な手続を実践することが出来るのである。 恐らく、学校教育で言えば、万遍なく教えなくても1つの事例を通して法的な問題解決の手続や方向性を教えることで、学習者の実生活上で必要な法的思考や手続、法的実践力の礎になるのではないかと考える。 私が本書で提案する問題解決型の法教育カリキュラムというのは、この経験に基づいてもいる。

この件では、正直、弁護士という職に対しては、信頼感よりも不信感の方が強まった。あのバブル期について、作家の宮崎学は、『地上げ屋』*3 という実録で群馬県多野郡吉井町(現高崎市)の産廃やゴルフ場開発を巡る土地買収について書いているが、本書では、地上げ屋側の金の亡者のような悪徳弁護士も取り上げられている。 この時期は、弁護士にも悪い奴がいたのかもしれない。実家の土地の問題解決は、弁護士が直接解決してはくれなかった。最終的には、法や訴訟ではなく、土着的な人脈で問題は終結している。売った土地は、グーグルアースで確認してみたが、未だに広い空き地のようになっている。待機所として使われたと聞いてはいない。

4.法教育研究の契機
この2 つの事例は、私の記憶から遠のいていた。しかし、別な角度から再認識したのは、筑波大学大学院博士課程教育学研究科での江口勇治先生のゼミだった。私は30 代半ばで教員を辞し、研究者の道を歩んだが、そのゼミで久々に法について学ぶ機会を得た。特に、ゼミでは、田中成明やロールズ(John Rawls)の法哲学が中心だったように記憶している。 大学時代は社会科学全般を学び、専門科目で憲法、刑法や民法の総論や各論を学んだものの法哲学までは受講していなかった。それだけに、私にとっては、なかなか難しく感じられた。しかし、嫌煙権闘争に関して、法のフォーラム機能について議論している時、恐らく、具体的な体験を語るような機会があって、私は先の土地問題を語ったように思う。 その時は長く話した訳ではなかったが、改めて、自分自身が法的な闘争をしていたこと、そして、それなりに知識を求め、弁護士から知見を得て、内容証明も書き、闘っていたことを確認できた。研究者の道を歩み始めていた私としては、研究という観点から、この闘争は興味深く思えた。

その後、1999年に、私は博士論文『社会科における役割体験学習論の構想』*4 を完成させたが、博士論文の終章では、奥野善彦先生の模擬裁判を取り上げた。奥野先生は弁護士で北里大学の教授(現名誉教授)でもあったが、当時、一般教養の「法学ゼミ」(通年)で二十数年間もの長い間、模擬裁判を実施していた。 特に、北里大は生命科学系の大学であるため、「安楽死問題」を模擬裁判の題材として扱っている。春にゼミが始まると、受講者は模擬裁判に向けて法律に関する学習をし、同時に、裁判官役、検察官役、弁護士役の主に3つのグループに分かれて、12月初旬に開催される模擬裁判に向けた準備を行う。 受講している学生は、初めのうちは気楽な気持ちで学習に取り組んでいるが、実際に高知であった嘱託殺人事件(末期ガンの辛苦に耐えかねた妻が、夫に自身の殺害を依頼して死に至った事件)に関わる中で、彼らにとって切実な問題になっていく。それぞれの立場と役柄から事件を徹底して追求していく。 時には熱い議論を闘わし涙を流しながら模擬裁判へと向かった。そして素晴らしい模擬裁判をやってのけた。この一部始終はNHKの放送「青春法廷」*5 として放送された。

私は、たまたま、この放送を見て、奥野先生に直接連絡を取り面会した。そして、模擬裁判も傍聴した。こうした関わりの中から、法教育研究や実践に関わるようになった。

すでに、「役割体験学習論」という教授学習論を提示したが、この理論は「学習者がある役割を体験することにより、考察対象の理解や問題の解決を図る学習方法である」と定義している。本理論は、頭で理解することばかりになりがちな学校教育、特に社会科教育の問題状況を解決するために提案したものだが、知識と行為の統一的学習を図り、真に社会で活用できる社会的実践力を育成するために構築した理論であった。 奥野先生の「青春法廷」は、教員や弁護士、学生が熱く関わり合いながら、安楽死事件を追求する「役割体験学習」であり、素晴らしい実践だったのである。

こうして、私の法教育研究と実践が始まり、今日に至っている。

【註】
*1 本稿は、拙著『役割体験学習論に基づく法教育-裁判員裁判を体感する授業-』<2011年、現代人文社>のあとがき「二つの出来事から」を加除修正したものである。
*2 筆者の記憶だが、後者の土地に絡む話では、当時内容証明を筆者が書いているので、今、実家の金庫に眠っていると思うが、それを確認すれば、当時の筆者が捉えた問題状況は確認できる。
*3 宮崎学著「第二章過疎地の饗宴【群馬県多野郡吉井町】」『地上げ屋-突破者それから-』(幻冬舎、2000年)129-130 頁。著者は当時、この地域の土地買収をしていた。実は、この頃、私は藤岡市の中学校に勤務しており、高崎市のはずれ城山という吉井町に隣接する地域に住んでいた。
*4 拙著『社会科における役割体験学習論の構想』(NSK 出版、2002年)
*5 NHK BSスペシャル「青春法廷~生命を問いかける学生たち」1995年2月10日放送。

2012年2月7日井門記
 

法教育諸研究

 法教育の諸研究

1.ゲーミング・シミュレーション「裁判員裁判」の開発-法曹三者と連携した法教育実践-

(平成20年度-22年度科研費基盤研究(C))

  科学研究費補助金研究成果報告書(PDF:342kB)

  法曹三者と学生による裁判員模擬裁判2008「シナリオ」(PDF:1.82MB)

  18特色GP「裁判員制度の模擬裁判」(http://www.akita-university-gaming-simulation.jp/mogi_saiban/)

2.ゲーミング・シミュレーション「事件報道」-裁判員へのメディアリテラシー-

(平成23年度-25年度科研費基盤研究(C))

  平成23年度-25年度 科学研究費補助金基盤研究(C)(PDF:345kB)

3.ゲーミングによる法教育:裁判員制度と民事紛争解決教材の開発

(平成23年度-27年度科学研究費補助金(新学術領域研究)【法と人間科学】-A01-003:法教育班)

  紛争解決はゲーミングによって,いかに効果的に伝えらえるか(PDF:261kB)

 法教育実践

  裁判員制度の模擬裁判 (http://www.akita-university-gaming-simulation.jp/mogi_saiban/)

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