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教育実践

今頃、アクティブラーニング?!
ある時、テレビで、横手でタクシーの運転手さんたちが、高齢者体験を行った、というニュースを見た。
高齢者体験というのは、高齢で体が不自由になった状態を擬似体験するものである。目には視界が遮られるようなメガネをかけ、耳には耳栓をして聞こえにくくする。手には関節が曲がりにくい手袋を着け、足にも同様に、動きを不自由にするプロテクターを着ける。このプロテクターには重りもついている。
運転手さんたちは、この体験で身体が不自由になった高齢者の状態を擬似的に再現し、実際にタクシーのお客となって後部座席に乗り込んでみた。高齢化が進んでいる秋田では、日頃、高齢者と接する機会も多い。そこで、タクシーの運転手さんたちが、高齢の乗客の立場から行動してみる体験をしたというわけである。
体験後、運転手さんたちは、「年寄りの体験しでみで、よぐわがった」と、口々に語っていた。日頃は、「運転手」という自分の役割からしか物事を見ずに、お年寄りを乗せる時にも、「はやく乗ってけれで!」と思っていたことを深く反省し、相手の立場に立って仕事をしなければならない、と痛感したようである。
高齢者体験は、タクシーの運転手さんたちにとって、日頃の仕事を自省するよい機会となったようだ。
さて、この高齢者体験の事例は、体験することの大切さを物語っている。私たちは日頃、相手の立場に立って考えることが重要だということについて理解はしているが、いざとなると、自分の視点や立場からだけ物事を見たり行動しがちである。 先ほどの運転手さんの例からも分かるように、乗客あっての仕事であるから、頭では、「お客さんにはサービスを」とか「お年寄りを大切に」といったことを分かってはいた。 しかし、いざ仕事となると、勤務時間の中でどうしても効率的にお客をさばくように行動しがちであった。 それが、高齢者体験により、そうした人たちの置かれた状況を身をもって理解することができ、効率優先、自分本位だった仕事の仕方を自省することが可能になったの。 つまり、体得的な理解ができたと言えよう。
さて今日、学習指導要領では児童生徒の「生きる力」を培うことが重視されているが、このような力とは「体得的な知識・理解と行動力」であり、私の言葉からすれば「社会的実践力」である。「生きる力」や「社会的実践力」とは、知識と行為の統一的な学習を通して、初めて学習主体に培われる力である。
こうした力を育成するための学習方法として、今再び、「作業的・体験的学習」や「問題解決的学習」が重視されることになった。
ただし、これらの学習方法は、かつて「はいまわる経験主義」と批判された苦い過去がある。 平たく言えば、「やってみて、それでどんな学力がついたっていうの?何にも学力ついてないじゃない」という批判である。 恐らく、新設された「総合的な学習の時間」も、ともすれば、同様にこの批判を浴びるだろう。
だが、心配するには及ばない。実は、こうした体験的・問題解決的な学習方法の重要性を裏付ける理論として「状況的学習論」というものがある。 認知心理学や認知科学等の分野から登場したこの論は、人間の認知や思考あるいは学習が、人間を取り巻いている環境や人間の活動している状況から切り離すことはできないとする主張である*1。 つまり、言葉を覚えることでも自転車や自動車の運転でもそうだが、周りの環境や人やモノなどとの相互作用を通して思考し、知識や技能が一体化して操作できるのである。 当たり前と言えば当たり前だが、この主張は、知識や学習を具体的な状況や生活実践から切り離して教えてきた伝統的な学校教育の在り方に対する強烈な批判となった。 すなわち、教室という外の社会から切り離された空間で教師が教科書を使って訳知り顔で教えるような教育、暗記させることだけに専念するような教育の在り方が批判されたのである。
ところが、このことは逆に、実際の社会に出かけて行って行う作業的・体験的学習や問題解決的学習を支持する理論ともなった。 佐伯胖は、状況的学習論の主張を、学習に意義を見い出せない子ども達の閉塞状況を打開し、学校教育変革の糸口になると捉え、その具現策として「米作り」や「だいこん育て」を提案している*2。 すなわち、このような学習活動は作業的・体験的学習に他ならない。
とは言え、佐伯の「米作り」や「だいこん育て」にはいささか閉口してしまう。というのも、そうした学習は、これまでの学校教育で長い間実践してきたことだからである。 新鮮で創造的な提案とは言えない。
そこで、私が考える体験的学習の構想を紹介したい。かつての批判を反省するならば、「何でもかんでもやってみれば体験」というのではいけない。 平成五年の段階で文部省(現文部科学省)が提示した体験的な学習は、実体験、模倣、追体験、ごっこ、劇化、シミュレーション、調査、見学、観察、実験、製作、発表、表現、討論等の身体の動きが伴う学習活動を体験的学習もしくは体験的活動としている*3。 しかし、それぞれの用語の相違や関連、活動の特質は不明確である。そこで、私はこれら体験に関する諸活動を、体験の内容、学習者の学習対象への関わり、体験対象・体験場所・体験手段等の観点から整理し、図1のように体系化した。図の中には発表、表現、討論は含まれていない。 これらの学習活動は、五感や身体を使うものの学習対象となる現場や人、実物との関わりを体験の内容とするものではなく、その活動自体を体験の対象または内容としない限り体験とは言えず、体験的学習から外した方が適切である*4。
紙面の都合上、詳細について説明はできないが、このように体系化するならば、これまでの体験的諸活動の特色を把握して、現場や教室で、人や道具やモノと関わる多様な体験的学習を臨機応変に活用していくことができる。
以上、体験学習を理論化した上で、私はさらに「役割体験学習」を提案したい。 役割体験学習とは「学習者がある役割を担うことによって、考察対象を理解し、問題を解決しようとする学習方法」であり、子ども達の社会的実践力(生きる力)を培うべく知識と行為の統一的な学習を図るための理論である*5。 「社会的役割」に注目したのは、学習者がある役割を担うことによって、社会や組織の仕組み、人々の関わりの理解を促進させることができるからである。 また、役割の遂行により知識、技能、態度などの統一的な学習も可能になる。さらには、役割視点を持つことによって多角的な見方もできるようにもなる。社会的役割には、以上のような利点がある。
特に本理論では、「学習の場」と「学習主体」という観点と、「現実」と「仮想」の次元とをクロスさせて役割体験の四類型を設定している(表1参照のこと)。
第一類型の役割体験学習は、主体現実・場現実型である。学習者は本物の現場で学習する体験学習である。例えば、介護実習では、学習者は特別養護老人ホームなどの介護・福祉現場で直接体験する。 「介護士」という役割で入所者や同僚と社会的関係を築きながら仕事を行う。ここにおいて、知識のみならず介護士としての技能や態度も形成され、総合的で体得的な学習が可能になるのである。 ただし、現場では、現実のルールが適用される。それゆえ、大きな失敗は許されないため、真剣な行動が求められる。
第二類型は、主体現実・場仮想型である。現場での体験が不可能な場合や訓練のために行う体験学習である。例えば、学校における防災訓練があげられる。 現実に起こりうる災害を想定して日頃から訓練を積んでおくことにより、現実に災害が発生した時に迅速に対応することが可能になる。この体験では、失敗は許容され、失敗を反省して、よりよい防災行動や救助行動のために活かすことができる。
第三類型は、主体仮想・場現実型である。この類型では、問題関心に応じて主体は日常とは異なる制約を自分自身に加える。前述の高齢者体験はこの類型である。身体が不自由ではない運転手さんたちは、メガネやプロテクター等を着用して、自分の身体に制約を加える。そして、乗車や降車などを行って、体の不自由な状況を体験し、動きや移動の困難さを理解する。 この「高齢者」という役割体験で、彼らは自分たちとは異なる人々が抱える問題を理解し、日頃の仕事を反省する貴重な機会を得たのである。
第四類型は、主体仮想・場仮想型である。この類型には、演劇、ロールプレイング、シミュレーション、ゲーミングといった方法があげられる。学校ではよく活用されている方法と言えよう。
例えば、本附属小の藤倉欣治先生が実践された「秋田のハタハタ漁」の授業が挙げられる。この授業では、ハタハタの激減という危機的事態の中で、秋田県漁業協同組合が平成四年に「三年間の禁漁」について意見を闘わせた。 本授業では、子ども達がその時の「漁協関係者」の立場に立って、当時の新聞資料等のデータに基づきながら、三年間に及ぶこのハタハタ禁漁について議論した。こうした学習によって、子ども達は、当時の状況や漁協関係者の切実な問題として事象を捉え、理解した。
以上、役割体験学習論について概説したが、このような学習理論により、学習者は現場やそこにいる人々、そこにある道具や資源と関係を取り結ぶ学習が可能になり、知識と行為の統一的な学習が成立することになる。また、学習の場が学校に限定されることなく、指導者も教師に限られることのない新たな学習を拓くことができる。
これまで、体験の中でも擬似体験はその意義が充分に認められてこなかった。しかし、こうした枠組みから体験的学習を実施することで、学習対象の理解や問題解決のために、直接体験も擬似体験も効果的に活用して、知識と行為の統一的学習による社会的実践力の育成を可能にするのである。
役割体験学習は、このように総合学習、特別活動、道徳、社会科、家庭科、国語科など学校教育のあらゆる面で活用できることが想像できよう。もちろん、生涯学習の分野でも活用可能である。
【註】
*1 Brown, J. S, Collins, A., Duguid, P. (1988). Situated Cognition and the Culture of Learning. Technical Report, Cambridge M.A.: BBN Labs, Inc.参照。
*2 佐伯胖著「提言学びの場としての学校」佐伯胖、汐見稔幸、佐藤学編『学校の再生をめざして2』(東京大学出版会、1992年)219頁。
*3 文部省『小学校社会指導資料Ⅰ新しい学力観に立つ社会科の学習指導の創造Ⅰ』(東洋館出版社、1993年)34-36頁。
*4 模倣や追体験については、ケースバイケースで判断する必要がある。
*5 本理論については、拙著『社会科における役割体験学習論の構想』(NSK出版、2002年)
を参照のこと。
<注記>本稿は、秋田大学教育文化学部附属小学校の紀要『いま、学校から』(2005年3月)の「連載 学部の窓」に「役割体験学習で社会的実践力を培う」という論文として掲載したものを加除修正した。
さらに詳しく、ビジュアルに理解したい方は
論文ダウンロードページから『社会的実践力を培う役割体験学習論の提案 -知識と行為の統一的学習の構想 -』をダウンロードしてください。
秋田大学ではゲーミング・シミュレーション型授業を推進していますが、ロールプレイまたはロールプレイングは、その中核となる手法です。
私たち秋田大学ゲーミング・シミュレーション研究会(秋大GS研)は、理論研究の一環としてマトヴェイチュク氏の“Roll Play:Theory and Practice”を翻訳しました。
本書のようなロールプレイングに関する本格的な著書は数少なく、その意味で価値のあるものと考えます。ただ、マトヴェイチュク氏は、臨床心理学系の方なので、現実から切り離した場の仮想性を強く意識していますが、私は現実から仮想までのロールプレイングを対象の理解と問題解決に活用すべきだと考え、「役割実践法による『ロールプレイング』の再構築」を提唱しています。
拙稿は巻末に掲載していますので、本文と共にお読みいただければと思います。
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私が博士論文で提案した「役割体験学習論」に基づき自身で行った実践を紹介しています。
学生同士が教師や法曹三者の支援を得て、共に学びあう中で、仲間と共に学び合うことの意味(他者存在の意義)を感じ取りながら、司法制度や裁判員裁判等の理解を深めていく過程が描かれています。
講義や文献による学習、刑事裁判の傍聴、模擬裁判やネット裁判員模擬裁判、法曹三者を招いた学習など、多様な学習活動を理論的に紹介しています。
知識と行為の統一的学習を目指す法教育について論じており、また、法に関する小説やマンガ、ゲームなども紹介していますので、是非、お読みいただければと思います。
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私は「津島穣実践『食料単元』の考察」を書いてます。食料単元の扱い方の参考にしてください。
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私は「役割体験学習論に基づく社会的実践力の育成」(第1章第2節)を執筆しています。
「秋田のハタハタ漁の復活に賭けた漁師と漁業関係者の気概」について熱く書いています。
全国書店等で発売中。 2,000円
私め井門が「第6章 役割体験学習論に基づくゲーミングシミュレーションの展開-問題解決のための社会学的アプローチ-」(127-175頁)で、社会福祉分野でのゲーミング・シミュレーションの活用について論じています!!
無料で閲覧可能ですが、ダウンロードの前に簡単なアンケートのページがあります。ご協力お願いします。(2010.02)